「こわさ」を教える

私たち親世代が子どもの頃、

親や先生はとても「こわい」存在だったという記憶があります。

親にちよっとした嘘をついたり、

言い訳をしただけで、

こっぴどく怒られたものです。

 

今振り返ると、

ああいう方法で、

自分がしたことに対する |良い」「悪い」の判断を、

教育されたのだなと思います。

私たちが子どもの頃、

「こわい」先生は 近づくのも怖いくらいで、

敬語を使って話しかけるのは、

あまりにも当然だったからです。

現代の先生にもそうした威厳があれば、

子どもたちも自然に敬語を使うのかもしれません。

 

そういえば、

昔は同級生をたしなめる時、

「先生に言いつけるぞ!!」

という言葉が、

定番の武器になっていましたが、

最近はどうな のでしょうか?

 

体罰の善悪は別にしても、

現代はこの種の「こわさ」が、

少なくなってきているような気がしてなりません。

 

「こわい」の 中には長敬や尊敬が含まれていました。

そして人間は、この「こわい」存在があって初めて、

自分で自分を律することが可能になります。

 

たとえば他愛ないイタズラをしても、

こわい親 や先生が、

どこかで見ているのではないか、

このことが知れたら、何と言われるかと、

「こわい」存在を思い出す。

それがあってこそ、自分を律すると共に、

自身をより高めていくこともできるのだと思います。

 

「こわさ」を経験することは、

学習の一つです。

「こわさ」を 教えることが、

親としての本当の優しさです。

時には毅然とした態度で叱る。

それは親として欠かしてはならない義務です。

子どもに対する深い愛情と、タフな精神エネルギーがなければ、

本気で叱ることはできません。

 

最近は自分の精神力の欠如から「怒る気力がない」、

そのために子どもを放置、放任してしまう

というタイプの親御さんも増えてきているようです。

厳しく叱るには、

親自身にも鍛錬が必要なのです。

 

子育ての中で、

親も自分自身を育てていく必要がある

と言えるかもしれません。

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