郡山のプロ家庭教師 合格への道 高校受験・大学受験(現代文/古文/漢文)指導

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国語・古典・漢文の勉強は何故必要なのか

time 2017/06/17

国語・古典・漢文の勉強は何故必要なのか?

 

国語の能力は文系、理系問わず最も重要な能力です。

ある新聞社がさまざまな企業で

国語力の調査をしたところ、

役職が上がるほど

国語の点数が良かったという結果が出ていたそうです。

なんと一流企業の社長さんになると読解問題はもち

ろんのこと古典、漢文もしっかりできている人が多かったと

いうのです。どうも国語力というのは将来の出世と大きく関

わってくることがうかがえます。

 

一流会社の社長さんの中には

「論語」などの現代に残る古典を

愛読している人も多いと聞きます。

特に宗教・哲学的要素のある古典ですね。

そういった数百年、数千年も前に書か れたものでも、

何故現代まで離れずに残っているのかと考えると、

もちろんそこに優れた英知が残っているからです。

古 典とは、人生に行き詰まった時などに

大きな支えとなるものが多いです。

例として中国の古典である「菜根譚」の一節を挙げてみた

いと思います。

 

誇逞功業、炫燿文章、靠皆是外物做人

不知心体螢然、本来不失、即無寸功隻字、

亦自有堂堂正正做人処。

 

功業(こうぎょう)に誇逞(こてい)し、

文章(ぶんしょう)を炫燿(げんしょう)するは、

皆是(みなこ)れ外物(がいぶつ)に靠(よ)りて人(ひと)と做(なる)なり。

知らず、心体螢然(しんたいけいぜん)として、

本来(ほんらい)を失(うしな)わざれば、

即(すなわ)ち寸功隻字(すんこうせきじ)無きも、

亦(また)自(おのず)から堂々正々(どうどうせいせい)として、

人と做(なる)の処(ところ)有るを。

(訳)

功績を誇り学問をひけらかす人々は、

人間としての価値を外面にだけ求めている。

本来そなわっているまことの心さえ失わなければ、

たとえ功績や学問がなくても、

それだけ で立派な人生を送れることを理解していない。

 

この古典を読んで皆さんはどう感じましたか?

自分の学歴をひけらかすような人は、

高校や大学の名前や プランドに目を蘇われている。

そういう人を戒めているともとれますし、

学歴や能力にコンプレックスを持っている人に 対しても、

人生にとっての本質を見極めなさいと蔵めているともとれます。

 

世の中すべて学歴で決まることもないし、

自分の学歴をひ けらかすことほど愚かなこともないし、

また学歴がないことに劣等感を感じて生きるのも愚かなこと。

学歴があっても立派でない人もいれば、

学歴がなくても立派な人はいる。

立派に生きられるかどうかは学歴や功績によるのではなく、

もつと別の次元にある。

その別の次元とは何かをよく考えなさい。

そんな風に言っているように私は感じます。

 

もちろん正確な解釈はさておき、

古典というのは

将来の自 分の人生の糧になればいいわけです。

どう解釈しようと誰にも迷惑をかけるわけではないのですから、

自由に解釈していいと思います

(もちろん古典の問題を解く場合はダメですけど)。

 

さてここで「古典は現代語訳を読めばいいのでは?」

思った人がいるのではないでしょうか?

確かにそうですが、

やはり古典は原文や書き下し文のまま読むことに価値があります。

 

 

私の大学時代、文学の先生は、

「現代に残る古文や漢文というのは

その音の調子が心地いいのだから

意味がわからなくても

自分は何度も声に出して読んだ」

と言っていました。

地いいと感じるのは、

やはり文章にエネルギーが

注ぎ込まれ ているからではないでしょうか?

 

数百年、数千年の時を超えて

現在までに残るほどすごいものなのですから。

中には好 んで感動した部分の原文を暗唱する人もいます。

 

「般若心経」なんていう有名なお経がありますが、

これなども意味がわからないのに

聞いているだけで何故か心地いいと感じてしまいます。

意味を理解すると実に奥が深いので

お経の中でも人気が高く暗唱する人も多いです。

 

一流企業の経営者の方が

難しい専門書や古典を租借でき、

愛読しているというのは、

逆に 考えればそれだけの咀嚼力があったからこそ

優秀な経営者になりえ たのだとも考えられます。

 

先人の深い悟りに触れてきたから こそ

困難や窮地を切り抜けていけるだけの

厚みのある人間に なれたのではないでしょうか。

 

ちなみに将来大学で歴史を学びたいという人は

古典、漢文の知識は絶対必要になります。

昔は当然テレビやスマホは ありませんから、

過去の事実は残っている古い文献から推測していく他ありません。

その古い文献はみんな古文、漢文で書かれていますので

ある程度の知識は必要なわけです。

 

さてこの事実を聞いて皆さんはどう感じたでしようか?

難解な専門書でも古典でも読みこなして

厚みのある人間になるか、

誰もが読んでわかるような平たい文章だけを読んで

薄っペらな人間になるのか。

実行するかしないかは、あなた次第です。

 

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